<猫井登のお菓子紀行>
vol.17
フランス・アルザス地方(3)
ミュールーズ
この「お菓子紀行」では、私:猫井登と、同じくお菓子研究家である妻:Junkoが実際にお菓子の研究のために訪れた国々での体験や旅の様子を交えながら、さまざまなお菓子を紹介していきます。
今回は、アルザスのミュールーズの様子です。
猫:今日は、ミュールーズ!
J:ストラスブールからだと、電車で1時間ちょっと、という感じね。
いよいよ「ジャック」に行くわけね!
猫:そうだね。 東京目白「エーグルドゥース」の寺井シェフ、福岡の「ジャック」の大塚シェフや、かつて東京八王子にあった「ア・ポワン」の岡田シェフなど、名だたる有名シェフが修業されたお店としても有名だから、ワクワクするね。
▼ミュールーズの有名パティスリー「ジャック」 |
J:大通りに面して立派なお店ではあるけれど、華美な装飾はなく、あっさりとした感じね。
▼「ジャック」店内の様子 |
猫:中は、すごいね! アントルメ(ホールケーキ)もたくさんあるよ!
特別に、厨房を見せてくれるって!!
J:やったあ!
▼「ジャック」の厨房 |
J:すごいわ! 仕上げ、生地、アイスクリーム、チョコレート専用と、厨房が、それぞれ独立しているのね。こんなに多くの部屋をもっている個人経営のパティスリーは初めて見たわ。
各部屋には必要器具が完備してあって、セルクルや包丁も大きさ順にきれいに片づけてある。磨き上げたステンレス台に、ゴミひとつ落ちていない床。日本人以上に几帳面ね!!
ここの創業者って、どんな経歴の人なのかしら?
猫:まあ、奥さんの実家のお店を受け継いだ形となっているから、正確には創業者ではないけれど、今のジャックを築き上げたのは、ジェラール・バンヴァルト氏だろうね。
氏は、アルザスのコルマール出身で、中学卒業後、見習い(アプランティ)修業で、ミュールーズの「とある店」に入る。3年間の修業(現在は2年間)でひととおりの製菓技術を学んだ。その後、スイスやフランスで修業。当時、フランスの植民地であったアルジェリアで独立のための内乱が起こり、氏は兵士としてアルジェリアに赴く。
フランスに戻った氏の元に、見習い時代に世話になったミュールーズの「とある」店のマダムから、夫が急死したので力を貸してほしいという依頼がくる。ミュールーズのお店に戻った氏は店を軌道にのせるべく必死に働いた。
そして、お店の娘と結婚。お店を継ぐことになった。お店の名前は、亡き義父の名をとり「ジャック」とした…。
J:なるほど。修業時代のお店を引き継いで、お世話になったシェフの名を店名にしたのね。
猫:そうなんだけどね。氏のパティシエ人生に影響を与えたのは、1971年にパリのエコール・ルノートル(製菓学校)の研修で、創始者のガストン・ルノートル氏に会ったことだと言われている。
言うまでもなく、ガストン・ルノートルというのは、新しいフランス菓子のあり方を追求し、そのレシピを惜しげもなく公開して、現代フランス菓子の基礎を築いた人だ。最高の材料を使い、細部まで神経を行き届かせてお菓子を作り上げる。そんなルノートルの姿に感銘を覚えたという。
ルノートル氏のもとではよい仲間にも恵まれ、エコール・ルノートルを離れてからも彼らとの交流は続く。これが基盤となり、やがて、有名な「ルレ・デセール」の誕生へつながっていく。
1981年「ルレ・デセール」発足。ヨーロッパを中心とした高級菓子店の代表者の集まりだ。
氏は、ルレ・デセールの会長も務めることになる。
J:エーグルドゥースの寺井シェフも、福岡ジャックの大塚さんも、ルレ・デセールのメンバーだったわね! 一流のシェフは、やっぱり一流のお店で修業しているのね!
で、どれだけ、お菓子買っているの!
▼購入したジャックのお菓子 |
猫:まあ、まあ、めったに来れるお店じゃないから…。
つづく