<猫井登のお菓子紀行>
vol.05
ベルギー(5)
ベルギーのチョコレートは、なぜ有名なのか?
この「お菓子紀行」では、私:猫井登と、同じくお菓子研究家である妻:Junkoが実際にお菓子の研究のために訪れた国々での体験や旅の様子を交えながら、さまざまなお菓子を紹介していきます。
今回訪れているのはベルギーです。
<ベルギー王立美術館から、ギャルリー・サンテュベールへ>
J:立派なアーケードね。
猫:こちらのギャルリー・サンテュベールは、1847年に完成した、ヨーロッパで最古のショッピングアーケードだと言われているね。
J:どこへ、むかっているの?
猫:ベルギーチョコレートのルーツを作ったといわれるお店を探しているんだよ。
ほら、ここ!「ノイハウス」だよ!
▼「ノイハウス」店頭の様子 |
J:どういうお店なの?
猫:ノイハウス(Neuhaus)は、1857年創業の老舗だね。
昔は、チョコレートというのは、滋養強壮のための薬扱いでね。薬剤師が扱っていたんだよ。
創業者のジャン・ノイハウスも薬剤師だったんだけど、お菓子としてのチョコレート開発に取り組んでね、彼の息子が1895年にチョコレート専門店をオープンさせる。
J:へぇ~、チョコレートが薬だったとはね。
猫:エライのは、3代目のジャン・ノイハウスなんだ。
J:おじいさんと同じ名前なのね。
猫:混乱するから、別の名前にしてほしいよね(笑)。
1912年に、彼がナッツにアメを絡ませて、ペースト状にしたプラリネをチョコレートで包んだ、一口大のチョコレート「プラリーヌ」を作ったんだ。フランスでいうところの「ボンボンショコラ」だね。さらに、1915年には、彼の奥さんがバロタンといわれる、チョコレート専用の箱を考案する。この2つの発明は、ベルギーのほかのお店に多大な影響を及ぼした。
▼「ノイハウス」店内の様子 元祖「プラリーヌ(ボンボンショコラ)」が 売られている |
J:ボンボンショコラが、ベルギー生まれだったとはね。一気にトップランナーになったわけね。
先のチョコレートの4大発明と合わせて、6大発明にしちゃえばいいのに。
猫:まあ、チョコレートそのものの製造法に関する発明ではないからね。言ってみれば、加工法と容器についての発明だから。
J:とにかく、チョコレートの中心がスイスからベルギーに移るわけね。
先走ってなんだけど、今、チョコレートっていうと、フランスじゃない? なんで、トップランナーがベルギーからフランスになっちゃったの? 一口大のボンボンショコラを超えるようなチョコレートの発明がフランスでなされたとか?
猫:う~ん。2つ考えられるかな。
1つは、ボンボンショコラの作り方かな。ベルギーの場合は、チョコレートを型に流し込んで固めて、まずはシェルと呼ばれる外殻を作る。そこに中身を流し込んで、その上から蓋をするようにチョコレートを流して、固める。
このやり方だと、先にいわば箱を作って、そこに中身を入れるわけだから、中身は比較的流動性の高いものでも、なんでも大丈夫だ。ただ、型で外殻を固めるので、どうしても、外殻が厚めでしっかりとしたものとり、食感としては固めになるし、噛み砕く感じになる。
これに対して、フランスでは中身を先に冷やし固めて、それをトロトロのチョコレートの中をくぐり抜けさせてコーティングする。
余分なチョコレートは落とすようにするので、外殻というより極薄の膜状になる。口の中ですっと溶けてエレガントというわけだ。
J:なるほどね~! エレガントか、フランスらしいわね!
猫:もっとも、フランスだって中身によっては、外殻を先に作る場合もあるし、ベルギーだって、中身を先に作って、あとでコーティングするやり方もとられるから、今となっては、差はないんだけどね。
J:もう1つ、フランスが優位になった理由は?
猫:それは、ほかのお店をまわってから説明するよ。
つづく