Sweets Specialist's WEB MAGAZINE

<猫井登のスイーツ面白事典>

vol.61
パネトーネ(7) 最終回

5.日本への伝播(続き)

引き続き、日本におけるイタリア料理・イタリア菓子受容の歴史です。

落合氏に続き、1982年には山田宏巳(やまだ ひろみ)氏がイタリアへ留学されます。氏はフィレンツェの田舎のレストランで勤務する事になり「イタリア料理は素材の旨みを最大限に引き出す料理である」という哲学を習得されます。これが後々、日本におけるイタリア料理の方向性に強く影響することになります。

1985年、山田氏は雇われ店長として原宿で「パスタパスタ」を開店。当時としては画期的な完全フルオープンキッチンスタイルを採用した同店は、もの珍しさも作用して大盛況に。山田氏は料理人をエンターテイメントとして取り上げた初のテレビ番組『料理の鉄人』に出演する事により認知度を高めました。

6.パネトーネの日本への伝播

さて、イタリア料理の伝播の話が終わりようやくパネトーネの話にたどり着けました。イタリア料理が日本に伝わる中でパネトーネも紹介された可能性はありますが年代が明確なものを挙げましょう。

1985年、「ドンク」が北イタリアのヴェネト州にある菓子店「サンレモ」と提携し、同ブランド名にてパネトーネおよびパンドーロを販売開始。
1986年、日本橋髙島屋に「PECK」オープン。PECKは、1883年ミラノ創業の高級食料品店ですから、パネトーネも販売されたでしょう。
つまり、パネトーネは、1985年~1986年には、日本に伝播しています。

1990年、イタリア料理は「イタメシ」と呼ばれ、大ブームとなります。それまではどちらかというと西洋料理=フレンチだったのに対し、イタリア料理はフレンチ人気を圧倒的に突き放し、一般家庭にも受け入れられることとなります。そして、同年「ティラミス」が大ブームに! 
1994年には同じくイタリア菓子である「パンナコッタ」が大ブーム!
2005年のバレンタインには「コヴァ」が初上陸。同年、菓子製造販売の「たねやグループ」が11月21日、表参道にイタリアンカフェ・レストラン「ソルレヴァンテ」をオープン(2014年3月閉店)。2008年、芦屋「パスティッチェリア・アマレーナ」がオープンします。

2013年には、伝統製法で作るパネトーネで有名なイタリアパン専門店「Pane & Olio(パーネ エ オリオ)」オープン。2016年には長らくソルレヴァンテのシェフを務められた藤田統三(ふじた もとぞう)氏が「ラトリエ モトゾー」をオープン。2019年には日本初のパネトーネの専門店「LESS(レス)」が恵比寿にオープンします。

このように1990年以降イタリアンが日本に定着し、2019年にはパネトーネ専門店まで出現。
ここ2年ほどは、もっとも注目されるクリスマス菓子とまで言われるようになったのです。

パネトーネを切り口にイタリア料理やイタリア菓子の日本における受容を追って来ましたが、いかがだったでしょうか? 


▼もっとも注目されるクリスマス菓子となったパネトーネ
▼パネトーネの断面

パネトーネ 終わり

61回にわたりお届けしてきました「猫井登のスイーツ面白事典」は今回で最終回とさせていただきます。
次回からは、私がお菓子の調査のために訪れた国内外の旅の様子と、お菓子についてご紹介する新シリーズ「猫井登のお菓子紀行」が始まります! お楽しみに!

プロフィール:
猫井 登(ねこい のぼる)
1960年、京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、大手銀行に勤務。退職後、服部栄養専門学校調理師科で学び、調理師免許を取得。ル・コルドン・ブルー代官山校で、菓子ディプロムを取得。その後、フランスのエコール・リッツ・エスコフィエ、ウィーン、ロンドン等で製菓を学ぶ。著書:「お菓子の由来物語」(幻冬舎ルネッサンス)、「スイーツ断面図鑑」(朝日新聞出版)、「お菓子ノート」(新人物往来社)ほか。
日本創芸学院「コーヒーコーディネーター養成講座」テキスト「コーヒーショップの経営」について執筆を担当、「飲食店開業セミナー」講師も務める。

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