Sweets Specialist's WEB MAGAZINE

<猫井登のスイーツ面白事典>

vol.57
パネトーネ(3)

3.パネトーネの発祥に関する由来話(続き)

前回に引き続き、パネトーネの発祥に関する由来話を続けましょう。

次のお話が、パネトーネの由来話としては一番有名なものになります。

(2)パン職人トニーが考案した という説
15世紀後半、ミラノをイル・モーロ公爵(ルドヴィーコ・マリーア・スフォルツァ)が治めていた時代の話…
ウゲットという貴族の青年が、貧しいパン屋アントニオの娘アダルジーサに恋をします。身分が違うため、ウゲットは作戦を考えました。まず、貴族であることを秘して、アントニオの元に弟子入りします。そして、自分が焼いたパンがイル・モーロ公爵に認められれば、アダルジーサとの結婚を認めるという約束を取り付けたのです。

ウゲットは、アントニオに教えてもらったパンを、クリスマスに公爵が開催したパーティーに献上。公爵はこのパンをいたく気に入り、パンにウゲットの名を付けることを許します。
しかし、ウゲットはこれを辞退し、親方であるアントニオの愛称である「トニー」と名を付けたいと申し出ます。ここから「パネトーネ」(トニーのパン)と呼ばれるようになったというわけです。
結婚を許されたウゲットは、初めて2人に貴族の身分を明かします。そして、アダルジーサと結婚後もパン屋を続け、めでたし、めでたしというお話です。

(3)ミラノの修道女が考案した という説
ミラノの修道院で食事の支度を担当していた修道女ウゲッタが、クリスマスの食卓に何のお菓子も添えられないので、パンの練り生地に、バター、卵、砂糖、刻んだシトロンを加えて焼くことに。窯に入れる前に、聖別するように、生地の頂上に十字の切れ目を入れました。これがパネトーネの発祥であるという説です。

ここまでの話で、パネトーネがどのようなものであるか、どのように生まれたかは、おおむね分かっていただけたと思います。
それでは、パネトーネは、どのように世界に、そして日本へ広がっていったのでしょうか?

4.パネトーネの世界への広がり

パネトーネは、1919年にミラノにパン屋を開いたパン職人アンジェロ・モッタ(Angero Motta)がパネトーネの「工場生産」を行なったことにより、多くの商品の供給することが可能となり、その名が広がったとされます。


▼パネトーネを持つアンジェロ・モッタ

出典:ウィキメディア・コモンズ
“Angelo Motta with a Panettone”
著作権者不明 / CC BY-SA

そして、名が広がっていく中で、イタリア全土、からスイス(特にティチーノ州)で多くのパン屋や菓子屋で作られるようになり、クリスマス菓子としても定着していったと言われています。


▼パネトーネはクリスマス菓子としても定着していった


つづく

プロフィール:
猫井 登(ねこい のぼる)
1960年、京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、大手銀行に勤務。退職後、服部栄養専門学校調理師科で学び、調理師免許を取得。ル・コルドン・ブルー代官山校で、菓子ディプロムを取得。その後、フランスのエコール・リッツ・エスコフィエ、ウィーン、ロンドン等で製菓を学ぶ。著書:「お菓子の由来物語」(幻冬舎ルネッサンス)、「スイーツ断面図鑑」(朝日新聞出版)、「お菓子ノート」(新人物往来社)ほか。
日本創芸学院「コーヒーコーディネーター養成講座」テキスト「コーヒーショップの経営」について執筆を担当、「飲食店開業セミナー」講師も務める。

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