Sweets Specialist's WEB MAGAZINE

<猫井登のスイーツ面白事典>

vol.54
フォンダンショコラ(4)

まだ寒かった時期に始めた「フォンダンショコラ」のお話でしたが、季節は移り変わり、いつの間にか初夏になってしまいましたね。何より、早くコロナが終息することを願いますが…。

さてさて、今までのところをおさらいすると、

  • フォンダンショコラは、オーブンから早く出してしまった、生焼けのチョコレートのスポンジケーキとして誕生した可能性が高い。
  • 1987年に、アメリカ・ニューヨークのジャン-ジョルジュ・ヴォンゲリスティンというフレンチのシェフが考案したという説がある。<アメリカ=モルテンチョコレートケーキの始まり>
  • 1981年にフランス料理界を代表する「ミシェル・ブラス」というシェフがデザートとして発明したという説がある。<フランス=ガトー・オ・クール・クーランの始まり>

それでは、アメリカやフランスで生まれたとされる「フォンダンショコラ」は、いかに日本に伝わり、日本で広がったのでしょうか?

日本で、フォンダンショコラが一般的に知られるようになったのは、2000年代以降と言われています。調べていくと、なんとミシェル・ブラス氏のお店が、2002年、北海道の洞爺に「ミシェル・トーヤ・ジャポン」としてオープンしていることが判明! つまり、2002年には、フランスのガトー・オ・クール・クーランが日本に伝わっていたことになります。

日本でどのように広がったのかは明らかではありませんが、2004年に、恵比寿にオープンした「トシ・ヨロイヅカ」で供されていたデザートのメニューには掲げられています。

ひとつ、フォンダンショコラの特殊性と押さえておくべきところは、フォンダンショコラというのは、生地にナイフを入れた瞬間に中のチョコレートが、さぁーと流れる瞬間を楽しむお菓子であり、スフレなどと同様、アツアツの状態を楽しむ、いわゆる「アシェット・デセール(皿盛りのデザート)」の1つだという点です。

なにが言いたいのかというと、一般的なパティシエ修行に行った菓子職人が修行先で覚えて、自分のお店で販売するというものではないということです。その点、ヨロイヅカ氏は、ヨーロッパのレストランでデセールの担当をしていたこともあり、デセールの専門店を開いて一般のケーキ屋さんとは差別化を図ったのでしょう。

フォンダンショコラは、一般的なパティスリーで修行したパティシエではなく、ヨロイヅカ氏のようにレストランでデセールも担当したパティシエたちを中心に日本で広がり、それが今日見られる、持ち帰りも可能な商品にも改良されていったと考えるのが妥当でしょう。今では、持ち帰り可能な商品としても開発が進み、可愛いデコレーションのものや、中身がキャラメルなどのものも見られます。


▼可愛いデコレーションのフォンダンショコラ

▼中身がキャラメルのフォンダンショコラ


フォンダンショコラの話、いかがでしたか? 失敗作から新しいお菓子を生み出すシェフたち、アシェット・デセールによる既存のケーキ店との差別化…。ぜひ、お菓子作りやお店作りの参考にしてくださいませ。

フォンダンショコラ 終わり

プロフィール:
猫井 登(ねこい のぼる)
1960年、京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、大手銀行に勤務。退職後、服部栄養専門学校調理師科で学び、調理師免許を取得。ル・コルドン・ブルー代官山校で、菓子ディプロムを取得。その後、フランスのエコール・リッツ・エスコフィエ、ウィーン、ロンドン等で製菓を学ぶ。著書:「お菓子の由来物語」(幻冬舎ルネッサンス)、「スイーツ断面図鑑」(朝日新聞出版)、「お菓子ノート」(新人物往来社)ほか。
日本創芸学院「コーヒーコーディネーター養成講座」テキスト「コーヒーショップの経営」について執筆を担当、「飲食店開業セミナー」講師も務める。

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