Sweets Specialist's WEB MAGAZINE

<猫井登のスイーツ面白事典>

vol.47
チーズケーキ(3)

今回は、チーズケーキを作るときに欠かせない「チーズ」の歴史を紐解いていきましょう。

チーズの製法の発見について、まことしやかに伝わるのは、次のような話です。
むかし、むかし…… まだ水筒さえなかった頃。
アラビアの遊牧民は、ヤギや羊の胃袋を水筒代わりにして、そこに乳を入れて携帯し、ラクダに乗り、旅をしていました。あるとき、乳を飲もうとすると、中から白い塊が出て来てビックリ!
これがチーズの始まりというお話。

少し化学的に説明すると、羊の胃袋に残っていた「レンニン」という消化酵素が、入っていた乳に作用し、乳を「凝固」させ、高い気温とラクダの振動で「脱水」が起こり、偶然チーズが作られたと考えられています。これが、紀元前1000年頃はヨーロッパに伝わり、古代ギリシャでチーズ作りが盛んになったと言われています。

そして、紀元前776年に行われた第1回の古代オリンピック中に、選手に供された「トリヨン」というものが、チーズケーキの原型ではないかと言われているのです。トリヨンというのは、チーズに乳や卵、小麦粉などを合わせて茹でたもので、現在のプディングのようなものだったと言われています。

ところが、2012年、上記の説をくつがえす発見がなされました。ポーランドの7000年前の遺跡から発見された土器にチーズと推定される乳脂肪が付着していた痕跡が見つかったというのです!

7000年前ということは、紀元前5000年。チグリス・ユーフラテス両河のメソポタミア文明(現在のイラクの一部)が始まったとされるのが3500年前だとされますから、それより古く、チーズがポーランドあたりで作れられていたとなると、アラブから伝わったという先の説は??というわけです。

実は、現在のチーズケーキに直接つながるチーズケーキの原型は、中世前期に作られたポーランドのポドハレ地方に伝わる「セルニク」というお菓子で、白チーズとカスタードを混ぜて作れるものだと言われていますから、ポーランドの遺跡からチーズの痕跡が出てくるのは、ある意味自然なことかも知れません。

▼セルニク

このセルニクが、ポーランドから人々が移民した際にアメリカに伝わったとされます。1872年、ニューヨークの乳製品加工業者が、フランスの「ヌシャテル」というチーズをつくる過程で、クリームチーズを産み出し、チーズケーキが一気にアメリカで広がっていくのです。

日本で、いわゆる「チーズケーキ」に関する記載が文献に登場するのは、1873年(明治6年)の万宝珍書が最初といわれています。

では、チーズは、いつごろ日本に入ってきて、いつごろ作られるようになったのでしょうか?
次回は、この話をしましょう。

つづく

プロフィール:
猫井 登(ねこい のぼる)
1960年、京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、大手銀行に勤務。退職後、服部栄養専門学校調理師科で学び、調理師免許を取得。ル・コルドン・ブルー代官山校で、菓子ディプロムを取得。その後、フランスのエコール・リッツ・エスコフィエ、ウィーン、ロンドン等で製菓を学ぶ。著書:「お菓子の由来物語」(幻冬舎ルネッサンス)、「スイーツ断面図鑑」(朝日新聞出版)、「お菓子ノート」(新人物往来社)ほか。
日本創芸学院「コーヒーコーディネーター養成講座」テキスト「コーヒーショップの経営」について執筆を担当、「飲食店開業セミナー」講師も務める。

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