Sweets Specialist's WEB MAGAZINE

<猫井登のスイーツ面白事典>

vol.23
シュトレン

12月が間近となり、クリスマスムードが高まってきましたね。
今日は、近時日本でもポピュラーなクリスマス菓子となってきた「シュトレン」の話をしましょう。

シュトレンは、ドイツのクリスマス菓子として有名で、14世紀頃の文献にすでに記録があると言われます。しかし当時のシュトレンは現在のバター、ドライフルーツ、砂糖たっぷりのものとは程遠い、 燕麦を水と菜種油だけでこねた極めて質素なものでした。これは、当時のアドヴェント(クリスマス前の約4週間のこと)は、肉や卵、乳製品の摂取が禁じられたいわば節制期間とされていたからです。


しかし、節制期間でも美味しいものを食べたいと思うのが人情というもの。ザクセン(神聖ローマ帝国の領邦国家)の選帝侯エルンストとアルブレヒト3世は、ザクセンでは油をとることのできる木の実が足りないことを理由に、当時のローマ法王にシュトレン作りの際、バターを使うことを許可してくれるよう求めます。それからしばらくたった1491年ローマ法王は「バター書簡」と呼ばれる有名な手紙を返し、シュトレン作りにバターを使用することが認められました。(ローマ法王が建設する教会の費用の一部を出すという裏取引があったともいわれます)

ドイツ最古といわれるザクセン州のドレスデンのクリスマス市では、1500年ごろにはシュトレンが一般民衆に販売され、人気を博したといわれ、今でもドレスデンのクリスマスマーケットは「シュトリーツェル(シュトレンのこの地方の呼び名)・マルクト」と呼ばれます。

時は下り、1730年。怪力の持ち主で「強健王」とも呼ばれたアウグスト2世は、自らの権力を誇示するため、当時ヨーロッパ最大ともいわれた軍事演習を行い、2万人以上の招待客のため、巨大なシュトレンを作らせました。その大きさたるや、長さ7m、幅3m、高さ30㎝。重さは1.8トンだったといわれ、8頭立ての馬車に乗せ市中を廻ったあと、王の前で長さ1.6mの巨大なナイフで切り分け招待客に振る舞ったとされます。

このアウグスト王の巨大なシュトレンに因み、ドレスデンでは毎年第2アドヴェントの前日の土曜日にシュトレン祭りが開催されます。ドレスデンのパン菓子組合やシュトレン保護組合のメンバーが中世の衣装をまとい音楽を鳴らしながら旧市街をパレードします。中でも一番の目玉は巨大シュトレンを載せた山車。毎年2トン~3トンの重さのシュトレンを載せた山車が市中を廻ったのちに広場に到着すると巨大なナイフで切り分けられ、見学者に販売されます。

シュトレン祭りの公式サイトはこちら↓
http://www.dresdnerstollenfest.de/

何事もキチンとするドイツらしく、シュトレンにも以下のようなガイドラインが設けられています。
・シュトレン   =粉100kgに対して、バター30kg、ドライフルーツ60kg
・バターシュトレン =粉100kgに対して、バター40kg、ドライフルーツ70kg
・ドレスナーシュトレン=粉100kgに対して、バター50kg、ドライフルーツ85kg
              (サルタナレーズン65kg+レモンオレンジピール20kg)、
              スイート種・ビター種アーモンド15kg 

今年の12月は、家でガイドラインに沿ったリッチなシュトレンを作ってみるのも楽しいかも!?

 

プロフィール:
猫井 登(ねこい のぼる)
1960年、京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、大手銀行に勤務。退職後、服部栄養専門学校調理師科で学び、調理師免許を取得。ル・コルドン・ブルー代官山校で、菓子ディプロムを取得。その後、フランスのエコール・リッツ・エスコフィエ、ウィーン、ロンドン等で製菓を学ぶ。著書:「お菓子の由来物語」(幻冬舎ルネッサンス)、「スイーツ断面図鑑」(朝日新聞出版)、「お菓子ノート」(新人物往来社)ほか。
日本創芸学院「コーヒーコーディネーター養成講座」テキスト「コーヒーショップの経営」について執筆を担当、「飲食店開業セミナー」講師も務める。

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