<猫井登のスイーツ面白事典>
vol.19
プリンの歴史(3)
プリンの歴史の話、まだまだ続きます。
少々、話を戻して、「プディング・クロス」を使った「ボイルド・プディング」の話をもう少し詳しくしましょう。きっと読者の中には
「布で、材料を包んで茹でたりしたら、水が浸み込んでグチャグチャになるんじゃないの?」
そう思った方も多いはず。むかし私も同じことを思い、製法を調べたことがあります。
まず、鍋に湯を沸かし、熱湯で布をボイルして殺菌。これをテーブルの上に広げ、たっぷりの小麦粉をふるいかけます。まさにここがポイントで、布にふるった小麦粉が熱湯に入れると薄皮のようにプディングの材料をシールドし、余分な水分が入り込むのを防いでくれるのです。このおかげで、茹でてもベチャベチャ、グチャグチャにはならないのです。
さて、生地に材料を入れたら口を紐でしっかり縛って準備完了。お湯の中に投入します。大きさにもよりますが、だいたい3~4時間程度で茹で上がり。布をはずすと、べっとりと、のり状の小麦粉の表皮が全体を覆っているので、これをオーブンに入れて乾かします。皮の部分が焼き上がればプディングの完成です。オーブンが家庭に普及する前は、かまどの火にプディングをかざして乾かしていたといわれます。
さて、19世紀になると「プディング・ベイズン」と呼ばれるプディング用容器が登場し、「プディング・クロス」で包んで茹でるやり方から、容器に入れて蒸して作る「スチームド・プディング」に変化していき、現在の蒸し焼きにつながっていきます。
イギリスではこのような発展を遂げたプリンですが、日本にはいつごろ伝わったものなのでしょうか? 文献として確認できるのは明治5年(1873年)の「西洋料理通」が最初とされ、そこには「干柿ポッディング」「生姜ポッデイング」「密柑ポッディング」などの名称が記載されているとされます。また明治22年(1890年)の「和洋菓子製法独案内」には「パンバタプリン」の名称で、今でいう「パン・プディング」の製法が詳しく紹介されています。当時の日本人の耳にはpuddingの発音が「ポッディング」「プリン」に聞こえ、「プリン」という呼び名が一般化していったのでしょう。
1903年には、家庭用料理本「洋食のおけいこ」の中でプリンの作り方が紹介されるなど、プリンは家庭でも作られるお菓子になっていきますが、実際に広く一般家庭に広まったのは1964年にハウスの「プリンミックス」が発売されてからだといわれています。
1970年頃まで、プリンは、現在のようにスーパーなどでは販売されておらず、もっぱら洋菓子店で買うものでした。また飲食店では皿の上に乗せてプリンが供されていたため、プリンは皿の上にのせて食べる物というイメージが定着します。
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そのような中、グリコ乳業がカップの底の突起を折れば、皿の上に綺麗に出せるということで1972年7月に販売開始したプリンが「プッチンプリン」。特に1974年のコマーシャル開始以降ヒット商品となり、プリンは、洋菓子店においてもショートケーキ、シュークリームなどと並ぶ3大人気商品の1つとして地位を確立したのです。
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