Sweets Specialist's WEB MAGAZINE

<猫井登のスイーツ面白事典>

vol.16
まんじゅうの歴史

前回、あんぱんは、酒饅頭をヒントに作られたというお話をしました。それでは、饅頭はどのように生まれたのでしょうか? 今回は饅頭のルーツを探ってみましょう。

饅頭というと、あんこが入ったお菓子を思い浮かべる方が多いのではないかと思います。しかし中国では、饅頭は小麦粉の皮で肉や野菜を包んだもので、主食とされています。日本でいうところの「肉まん」を思い浮かべていただけるとわかりやすいと思います。

饅頭のルーツには恐ろしい逸話があります。
中国では、天変地変を鎮めるために人の頭を切り、神に供していました。
中国の軍略家として有名な諸葛孔明が蛮族を征伐する旅の途中、河川が氾濫して渡れなくなりました。部下は捕虜の頭を切って水神に供してはどうかと進言しますが、孔明はこれを却下。代わりに羊や豚の肉を小麦粉の皮に包んで人の頭に似せて作り、それを水神に供したといわれます。ここから、饅頭は人の頭に似せて作られたものであったとも言われています。

饅頭が日本に伝わったのは鎌倉~室町時代と言われますが、その経路は2つあるとされます。
1つは、鎌倉時代、宋より帰朝した聖一国師がその製法を布教の途中立ち寄った茶屋の主人「栗波吉衛門」に伝授したというもの。
もう1つは、南北朝の頃、やはり宋から帰朝した龍山禅師に同行していた林浄因という中国人が日本で作り始めたというもの。林氏はのちに塩瀬氏を名乗り、これが現在の塩瀬饅頭の祖とされています。

 
 

日本に伝わった饅頭は、肉食の習慣があまりなかったことから、肉の代わりに餡を詰めるようになり、 餡饅頭として室町時代に普及し、江戸時代には茶道が隆盛期を迎えたことから、現在のようなお菓子として定着していったといわれます。

江戸時代には、諸国の庶民のあいだにも広がって行きますが、当時砂糖は大変高価であったため、 砂糖を使った餡の饅頭を口にすることができたのは大名や貴族だけで、庶民は塩餡饅頭を食べていたといわれます。

饅頭は、当初はこのように上層階級の人々のものでしたが、やがて砂糖が庶民のあいだにも普及して来ると、イモやニンジンなど、それぞれの地域の産物を入れたものが考案され、郷土菓子として旅人に親しまれ、全国にいろいろなバリエーションが広がっていきます。

現在、さまざまな饅頭がありますが、製法から大きく3つに分類することが出来ます。
①蒸したもの。これは小麦粉や薯蕷などの生地を使い、せいろなどで蒸したもの。
②焼いたもの。もみじまんじゅう、六方焼きなどがそうですね。
③茹でたもの。麩饅頭などがこれに該当します。

行楽が楽しい季節! お好みのお饅頭をもって出かけられてはいかがでしょうか。


プロフィール:
猫井 登(ねこい のぼる)
1960年、京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、大手銀行に勤務。退職後、服部栄養専門学校調理師科で学び、調理師免許を取得。ル・コルドン・ブルー代官山校で、菓子ディプロムを取得。その後、フランスのエコール・リッツ・エスコフィエ、ウィーン、ロンドン等で製菓を学ぶ。著書:「お菓子の由来物語」(幻冬舎ルネッサンス)、「スイーツ断面図鑑」(朝日新聞出版)、「お菓子ノート」(新人物往来社)ほか。
日本創芸学院「コーヒーコーディネーター養成講座」テキスト「コーヒーショップの経営」について執筆を担当、「飲食店開業セミナー」講師も務める。

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