<猫井登のスイーツ面白事典>
vol.13
チョコレートの歴史(1)
バレンタインデーが迫ってきて、お菓子売り場にはさまざまなチョコレートがあふれていますね。 よい機会なので、今回と次回は少しアカデミックに、「チョコレートの歴史」についてお話をしたいと思います。
1,カカオって何?
まずは、チョコレートの主原料となっているカカオについてお話をしたいと思います。カカオの正式名称は「テオブロマ・カカオ(Theobroma cacao)で、属名の「テオブロマ」とはギリシャ語で「神様の食べ物」という意味です。1753年に生物分類学の祖リンネにより命名されましたが、その昔、マヤやアステカ文明においてカカオが神様への捧げものとされたことに由来します。
カカオのルーツは中米とするする説が有力で、約4000年前から栽培されていたともいわれます。カカオの実は小型のラグビーボールのようなかたちをしており、これを割ると白い果肉に包まれた種子、つまりカカオ豆が20~50個ほど入っています。昔はこのカカオ豆を発酵、乾燥させたのち、土鍋で炒り、粉砕し、すり潰してドロドロにして飲んでいました。これだけでは苦みが強く飲みにくいので、トウガラシなどのスパイスで風味を加えたり、トウモロコシの粉を入れて水や湯で溶いて、かき混ぜて泡立てて飲みました。このように、チョコレートはもともとは飲むものだったのです。
当時カカオは強壮や解熱などの万能薬として珍重され、これを口に出来たのは王侯貴族など限られた人々だけでした。つまり、チョコレートの起源は古代文明の王侯貴族が愛飲した強壮ドリンクだったというわけです。
貴重品であったカカオはまた、儀式において神々に供物として捧げられたり、時代により交換比率は変化しましたが、カカオ豆3個→七面鳥の卵1個、カカオ豆40個→雌鶏1羽というように貨幣のようにも使われました。
2,ヨーロッパに渡ったチョコレート
16世紀になると、ヨーロッパは大航海時代を迎え、金やスパイスなどを求め船で探検にのり出します。1519年、スペイン人エルナン・コルテスは数百名の兵士と共にアステカ王国を襲撃、カカオがスペインに伝わります。
しかし、いかに滋養強壮に効果があるといってもこの苦い飲み物はなかなかスペイン人の口には合わず、やがて同じく植民地の産物であった砂糖を入れ、甘くして飲む方法が考案され、ポットやカップも独自のものが生まれます。ここで初めてカカオは苦い薬から甘いスイーツへと変貌を遂げるのです。
ポットの蓋に刺さっているのは、チョコレートを攪拌するための棒。
棒の先は、歯車のようなものがついていて、泡立ちやすいように
形が工夫されている。(写真下)
この棒を拝むような形で両手ではさんでクルクルと回し、泡立てた。
チョコレートを泡立てることで、苦みを緩和しようとした。
立食パーティーの際に持ち運んでも、受け皿から滑り落ちないように
カップを固定する隆起が受け皿につけられている。
カカオはスペインにおいて門外不出とされましたが、17世紀に入り、スペインの王女がフランスに輿入れすることになり、フランスにも伝わっていきます。フランスのルイ14世と結婚したスペイン王女マリー・テレーズが「王とチョコレートは我がただ2つの情熱なり」と語るほどのチョコレート好きであったのは有名な話ですね。
一方でオランダやイギリスにおいても海外貿易や産業の発展の中でカカオは広がっていき、コーヒーハウスなどでも供されるようになります。しかし、チョコレートには「脂っぽい」「ドロドロした液体」「苦い」「ザラザラと舌触りが悪い」など、さまざまな欠点がありました。
つづく